この東アジア交流ハウス雨森芳洲庵は、1984(昭和 59)年に、滋賀県の「小さな世界都市づくりモデル事業」の指定を受け、芳洲の出身地に建設したものです。
ここは、芳洲の生涯をたどり、思想や業績を顕彰するともに、東アジアとの交流と友好をめざす拠点であります。
大きなケヤキのそびえる敷地からは、遠く己高山に連なる山々がのぞまれます。
静かな佇まいの庵内には、芳洲の著書や遺品、芳洲が深く関わった朝鮮通信使の資料などを展示しています。
また、研修室では芳洲や朝鮮通信使についての講座、国際交流、人権学習、まちづくりなどの講話を聞くことができます。
芳洲庵は、これからも芳洲の「誠信の心」を内外に発信しながら、東アジアの平和と友好とふるさとづくりのために、多くのみなさんに活用いただくことを願っています。

雨森芳洲(1668~1755)は、江戸時代の中期の儒学者で、朝鮮との外交に活躍した人です。
芳洲は、雨森村(現長浜市高月町雨森)の医者の家に生まれたといい、22歳の時、九州と朝鮮半島との中間には浮かぶ島・対馬藩(現長崎県)に仕えました。
その頃は鎖国の時代でしたが、隣国朝鮮とは「通信の国」として、徳川幕府は善隣友好の交わりを結んでいたのです。その交流の窓口が対馬藩でした。
芳洲は、儒者として対馬藩に仕えましたが、31歳から外交の実務を担当する役職を命じられて、数々の業績をあげました。
当時の朝鮮外交は、「筆談外交」といわれる時代でしたが、芳洲は「ことばを知らで如何に善隣ぞや」と釜山に三年間留学して、朝鮮のことばを修得しました。
44歳と51歳の時には、朝鮮通信使の真文役として江戸往復の旅に随行して大活躍しました。61歳の時、主君に上甲した『交隣提醒(こうりんていせい)』の名著には、国際社会の現代にも通用する「誠信外交」の秘訣が述べられています。
また芳洲は、生涯学習の先駆者でもあります。晩年になっても向学の心は衰えることなく、一万首の和歌づくりを志し、『古今和歌集』一千遍詠みを二年かけて完了し、88歳の生涯を終わるまでに二万首の詠草を成し遂げました。

| 入場料 | 個人 | 大人 | 300 円 | 1人 1回 |
| 児童・生徒 | 150 円 | |||
| 団体 (20名以上) | 大人 | 240 円 | ||
| 児童・生徒 | 120 円 | |||
| 利用料 | 茶 室 | 500 円 | 1時間 | |
| 研 修 室 | 1,000 円 | |||
| 開館時間 | 午前9時~午後4時 | |||
| 休館日 | 毎週月・火曜日・祝日の翌日 年末年始(12/29~1/4) | |||
